論文の書き方(結束性)

メンがヘラったわけではないですが,3日くらいの完全休業状態から復帰しますた。たまには休むのも大切です。

自分の論文の書き方についての備忘録。

研究室で隣の隣に座っている田○くんに論文を読んでもらったら,原稿がコメントで真っ赤になって帰ってきた。

○村くん曰く,「超読みにくいマジ校正出してから持ってこいよ」らしいんですが,とにかく読んだときの印象としては,文と文のつながりがわかり辛いということ。前の文読んでて,次の文に移ると,ん?えっとこれこの話か?ん?ってなるらしい。

なんかなあ,それ卒論のときから言われてる気がするんだけど,成長ねえなあ。いちおう大学で英語も教えているんだけど。

それで,いまようやく修論を投稿用に書き直したんだけど(もうD2ですよ今),その原稿を持っていって先生にみていただいてもらったコメントが,

「現段階ではまだ,段落はトピックセンテンスから始まることを意識したほうが良い」

ということだった。

その基礎基本の構成ができてから崩していくのはアリだけれども,今の原稿では,段落を読み進めていくうちに脱線するところがあって,そこがわかりにくくなっているということだった。限られた分野が似通った人ならわかるのだろうけど,ちょっと外れた分野の人だと,トピックセンテンスに立ち戻れば何について説明しているか理解できるという感覚がないのは読みにくい理由になっていると。

その話をしたら田○村くんは「そうそれ!」って顔してた。

日本語で論文書いてるとそんなことないんだけど,それっていうのはある程度「型」を破っても,段落で話が散逸して収束してないとかにはちゃんと気づいて,意識的にではなくとも,恐らくどこかで修正して話がうまく流れるようにしているということだと思う。英語だと単純に習熟してないので,そういった高次のことに気づきにくい。英語で論文書いて修士だけど学位まで取ってそんなことがいまだにできないのは恥ずかしい限りだけど,できていないのだからしょうがない。

で,今回のメモしておこうと思ったのは,「なんか読みにくい。文法云々じゃなくてとにかく読みにくい。」というのはこれまで言われてきたことなんだけど,上記のような具体的な打開策がまたいくつか出てきたということ。色々な人に原稿を読んでもらってよかった。これを意識しながら書いていったらまた多少よくなるんじゃないかと,ちょっと希望を持っている。

学部のとき当時の指導教員の先生に「英文校正では直らんと思うよ,これ」と言われたのを思い出した。才能ないのは背が低いってことと同様くらいもう別にどうでもいいんだけど,いつになっても奢らずにちゃんと成長せんといかん。

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追悼

ちょっとこういうところに個人的に書く気にはならなかったんですが,まあもっと公式なアレで自分の個人的なのじゃなくてみんなで追悼したらそれでいいと思ってたんですがそれがどうも叶わないようで,いやまあそれとの因果関係はよくわからんですが,なんか書こうと思ってしまいました。

もう数日経ってしまいましたが,広島大学の前田啓朗先生がお亡くなりになったという話をお伺いしました。

始めてお会いしたのは全国の大阪大会だったんですが,あの伝説的なランチョンで,はじめて動いてる先生を初めて見ました。終わった後,数人がちょっと残って喋ってる中にいました。
当時は大学4年生で,ヘタレな今より更に誰でもない勉強足りない学生だったんですが,ちゃんと相手してくださったんですね。そういうお人柄だったんです。
その後なんか先生(とか寺沢さんとか、それを皮切りにそのあと別の先生方もですが)がツイッターで僕をいじりまくってくれた事がなんか色んな人に可愛がってもらう機会を作ってくれました。

そんで同じ学部四年のとき。
「卒論構想できてたらそれ持って中日ビル」という招集が掛かって,先生が非常勤に来ておられた大学の院生さん相手に卒論のプレゼンをやるという。あー怖かった。院生って怖い。

「また飲みましょう」とか言ってくれて。それ以来,名古屋に非常勤の集中講義で来られる度にお会いする機会に恵まれました。たまに手伝ったり。

いろいろ教えてもらいました。お酒ご馳走になったりして,先生が若い頃に本をご執筆されたときの話とかして頂いて。論文の内容を聞いて下さったり。僕は頻繁に角変換(逆正弦変換)を使うし,αの修正にはライアンとステップダウンボンフェローニを毎回必ず使うけど,あれは両方とも先生が僕の研究を聞きながらケーススタディで教えてくださった手法でした。懐かしいなあ。
基礎研ができたときも,「そういうメンバーで将来,本書いたりするから大事にせんと」とか(いや,広島弁かけない上に正確になって言ったか覚えてないのだけど確かこんなかんじ)仰って。しかも第一回の年次大会に駆けつけて下さって,ご講演頂いて。

先生はよく,自分には弟子がいないと言ってました。先生が僕のことどう思ってたかは結局わからないんですが,僕は自分がそうだとは言えず,先生が大きすぎて,なんか論文の謝辞に書くのも憚られて,まあもうちょっと偉くなったらなんか…とか…なんかなに言いたいかわからなくなってきましたが,もういなくなってしまうなんて。よく考えたら先生に見て頂いた最後の原稿,一年以上経つのにまだ出版されてない。

さて,そんなこと考えてたらなんにもする気が起きないのですよ。なんかツイッターでも呟く気になれなくて。今日もまた15時間くらい寝てた。なんかそろそろそれを言い訳にして元々の怠惰が出てるだけな気がしてきたからなんとかしないと。

うん。

つらい。

先生はどこでも人気でしたので,「先生,先生」とついて行くのはどうも憚られて,一緒にいる機会があるときはいつも控えめにしてしまっていました。もうちょっと,お話したかったなあ…。

心から感謝申し上げます。同時に,お悔やみ致します。どうか,安らかにお眠りください。