2017年の振り返り

ほぼ数回に一回はその年の振り返り記事になっているほど過疎っている本ブログですが,今年一年あったことを振り返ってみたいと思います。

なんといっても今年一番大きかった出来事と言えば,所属が移ったことでしょう。静岡県立大学(University of Shizuoka)から静岡大学(Shizuoka University)へ移りました。ポスドク研究員っぽい業務内容と聞いていましたが,実際そういう雰囲気ながらなかなか普通のポスドクではできないだろう経験をしています。

普段私が何やってるのかよくわからない人も多いと思いますが(静大の学生にもそういわれますが),分析したりいろんなところ行ったりしています。特に亘理先生をはじめとする大学の先生たちや県の指導主事の先生たちと高校を回っていろんな授業を見て,協議に参加したりさせてもらっていました。見た授業は40時間ぶんくらいだと思いますが,とにかく周りの先生方の授業を観察する視点に圧倒されつづけた一年だった気がします。変なこと言って無能扱いされないか心配で日々必死でしたが,たまにはアドバイスを求めて尋ねてくださる方々もいて,多少ここに存在する意味はあるのかなと胸をなでおろしたりしています。

昨年まではとにかく毎日授業と授業準備をし続ける生活で,多くのコマ数を捌くことに不慣れなこともあり,それはそれで実に学ぶことの多い時間となったのですが,今年は逆に,ただただ授業をこなしていても絶対に身につかなかっただろうなと思うような見方や方法を身に着けることができたと思います。

なんだかんだ学生生活が長かったので働き始めてから日は浅いですが,なんかこう自分が一生懸命やったことで,自分が多くのものを得ることができるというのはそうなんですが,それがたとえほんの少しでも他人にも還元できてるかもしれないと思えるのっていいですね,なんて意識の高い新人会社員みたいなこと言ってみたりするんですけどね,裏を返せば学生時代まで何を頑張ってもそういう実感が皆無だったってことでもあるんですけど,まあそんなもんでしょうか。

自分の研究にフォーカスすると,今年は実にリジェクトが多い年でした。リジェクトに始まりリジェクトに終わったと言っていいでしょう。自分が筆頭じゃない共同研究もリジェクトされまくって,リジェクトに次ぐリジェクトで語尾が変わっちゃいそうだジェクト。今月帰ってきたやつも,メジャーリビジョン判定の原稿を修正して出したら再査読に一年かかってまたメジャーリビジョンで帰ってきたりジェクト(どっちやねん)。

あ,でもここで書いたように,今年は共著で本が出ましたェクト。卒論執筆中の色んな大学の学生の方々が結構持っててくださってたりして,嬉しかったですェ外。来年は違う出版社が単著も出してくれるっぽいです。がんばりまーす。

ということで今年はとても充実した一年でした。来年もそうなるように努めたいです。今年もあとわずかですが,皆様もいい年を過ごしてお迎えください。

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言語教育の具体的方法論の裏にある言語観,学習・教育観

昨日(12/16)に行われたCELES愛知の講演で青木昭六先生のお話を伺ってきました。

講演タイトルは「What do you think about “T-ASK” activities?」というものでした。

講演では,JespersenやWiddowsonやHallidayといった研究者をはじめとする広範な引用から「言語」や「コミュニケーション」が論じられ,そこから先生の「言語観,言語学習・教育観」が展開されていきました。その達成方法として,推論発問とそれに基づくコミュニケーションによるモデルが具体的に示されていました。正直,少々難解だったけど,ハンドアウトを見直して少し時間をかけて咀嚼する必要があると感じる含蓄に富む講演でした。

個々での内容は,青木先生が長い時間をかけて,言語とはどのようなものかということから突き詰め,言語教育とはどのように行うべきか考え続けた一つの結論なのだと思います。外国語学習・教授を具体的に「どう行うか」という議論になる際には,何かと,どうやったら記憶に残るか,どうやったらそれを早く引き出せるかが焦点になりがちですが,そもそもその教授の対象はどのようなものか考え,理解すること理解は極めて大切だと改めて感じます。

そういえば,第二言語習得研究者の若林茂則先生が外国語教育の対象たる(第二)言語について論じたうえで英語教育を考えるという動画があり,このあいだ興味深く拝見しました。

しかしこの動画の編集かっこいいな・・・。中央大はいりたくなるわ・・・。

 

最近書かせて頂く記事に隙を見てちょこちょこと書いてるんですが,言語教育に従事する際にはもちろんのこと,どんな研究をしていても,その具体的な方法論を論じる際にはその人がベースとしてる言語観・教育観が不可避的に反映されるわけですから,自身のベースにあるディシプリンは何にしろそこには自覚的・自己反省的でありたいし,考え続けたいものです。

 

また青木先生の講演に戻ると,タイトルにある「T-ask activities」は,先生(Teacher)が問う(ask)推論発問とタスク(task)をひっかけて松村さんをからかったタイトルだそうです。お話を伺っているとそこに込められた意味は単なるからかい以上に深く,いわゆる教育における放任-押し付けのジレンマに対しての問題提起もあるようでした。青木先生自身はいわゆる「問題解決型」の授業を否定するわけではなく,しかし先生が主導的に発問を行って生徒が得るべき「言語能力(これももちろん記憶の貯蔵と検索の意味を超えたもの)」を引き上げるという観点へしっかりと目くばせしています。その最適解は恐らく,このような二項対立的「あれか,これか」のはざまの微妙なバランスにあるのでしょうが,その微妙な点に自分なりの答えを見出せるかどうかも,知識を基にした熟考の上に確立された言語観の有無にかかっているのでしょう。

教科書にあるマテリアルと,そこに対する推論発問のみで生徒が目を輝かせながら能動的に考え積極的に活動する授業を行う先生はいますし,そのような状態を目指したはずなのにつまらないタスクを用いた授業というのも現実には存在するでしょう。もちろんテクニック的な上手下手はあるのでしょうが,結局は「よい授業」のためにはそれにふさわしい認識の基盤が必要なのだろうなあと考えさせられました。