言語教育の具体的方法論の裏にある言語観,学習・教育観

昨日(12/16)に行われたCELES愛知の講演で青木昭六先生のお話を伺ってきました。

講演タイトルは「What do you think about “T-ASK” activities?」というものでした。

講演では,JespersenやWiddowsonやHallidayといった研究者をはじめとする広範な引用から「言語」や「コミュニケーション」が論じられ,そこから先生の「言語観,言語学習・教育観」が展開されていきました。その達成方法として,推論発問とそれに基づくコミュニケーションによるモデルが具体的に示されていました。正直,少々難解だったけど,ハンドアウトを見直して少し時間をかけて咀嚼する必要があると感じる含蓄に富む講演でした。

個々での内容は,青木先生が長い時間をかけて,言語とはどのようなものかということから突き詰め,言語教育とはどのように行うべきか考え続けた一つの結論なのだと思います。外国語学習・教授を具体的に「どう行うか」という議論になる際には,何かと,どうやったら記憶に残るか,どうやったらそれを早く引き出せるかが焦点になりがちですが,そもそもその教授の対象はどのようなものか考え,理解すること理解は極めて大切だと改めて感じます。

そういえば,第二言語習得研究者の若林茂則先生が外国語教育の対象たる(第二)言語について論じたうえで英語教育を考えるという動画があり,このあいだ興味深く拝見しました。

しかしこの動画の編集かっこいいな・・・。中央大はいりたくなるわ・・・。

 

最近書かせて頂く記事に隙を見てちょこちょこと書いてるんですが,言語教育に従事する際にはもちろんのこと,どんな研究をしていても,その具体的な方法論を論じる際にはその人がベースとしてる言語観・教育観が不可避的に反映されるわけですから,自身のベースにあるディシプリンは何にしろそこには自覚的・自己反省的でありたいし,考え続けたいものです。

 

また青木先生の講演に戻ると,タイトルにある「T-ask activities」は,先生(Teacher)が問う(ask)推論発問とタスク(task)をひっかけて松村さんをからかったタイトルだそうです。お話を伺っているとそこに込められた意味は単なるからかい以上に深く,いわゆる教育における放任-押し付けのジレンマに対しての問題提起もあるようでした。青木先生自身はいわゆる「問題解決型」の授業を否定するわけではなく,しかし先生が主導的に発問を行って生徒が得るべき「言語能力(これももちろん記憶の貯蔵と検索の意味を超えたもの)」を引き上げるという観点へしっかりと目くばせしています。その最適解は恐らく,このような二項対立的「あれか,これか」のはざまの微妙なバランスにあるのでしょうが,その微妙な点に自分なりの答えを見出せるかどうかも,知識を基にした熟考の上に確立された言語観の有無にかかっているのでしょう。

教科書にあるマテリアルと,そこに対する推論発問のみで生徒が目を輝かせながら能動的に考え積極的に活動する授業を行う先生はいますし,そのような状態を目指したはずなのにつまらないタスクを用いた授業というのも現実には存在するでしょう。もちろんテクニック的な上手下手はあるのでしょうが,結局は「よい授業」のためにはそれにふさわしい認識の基盤が必要なのだろうなあと考えさせられました。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中