志摩への訪問

少し前の連休に,静養もかねて三重に行ってきた。私は幼少の頃に引っ越しを繰り返していたのだけれど,今回訪れたのはそのかつての居住地の一つである志摩市(当時の志摩郡)大王町の波切というところである。前日に伊勢神宮,鳥羽,天岩戸と見回って,夕方にその地に入って宿泊した。リアス式海岸が深いところで,かつては九鬼水軍が天然の砦として居住地にしていたという。

私が住んでいたのは,まつり博・三重が開催されていたあたりの時代から小学校低学年の頃くらいまでで,それ以来一度も住んでいたあたりには訪れていないので(当時の友人と三重で会ったことはあるが,居住地周辺には赴かなかった)実に20年以上ぶりの訪問だった。

住んでいた当時は,土日になると観光地としてひっきりなしに観光バスが訪れ,真珠の貝柱のたたき売りの声でにぎやかだった。私も土曜日の学校帰り(そういえば当時は土曜日も出校日だったんだね)に観光ガイドの旗をもって歩いた記憶があるし,妹が灯台の受付で座ってチケット配っていたこともある(よく遊んでもらってたという意味)。実は私の妻も私が住んでいた頃にここを何度か訪れたことがあるらしく,私は観光地のど真ん中みたいなところに住んでいたので,時期さえ合っていれば確実にすれ違っていると思われる。本人はほとんど記憶がないらしいが。

海沿いに伸びる道の両端には干物の籠と売り場が並んでいて,その先に灯台へと続く坂がある。坂にはまた土産物売り場が並んでいて,英虞湾を見渡す広場のような場所もある。かつてはこの広場や坂の途中の平らな場所で所狭しと絵を描いている人がいて,「絵描きの町」とも呼ばれていた。

昔は海産物やこの土地とは明らかに関係ない土産物(なんか剣のキーホルダーとか,ルービックキューブの小さいようなやつとか。私はそこで「ぎゃおっぴ」だかなんだかというたまごっちのパチもののようなものを買ったのを覚えている)の売り場もたくさんあったのだけれど,そういった店は余裕がないと出せないのだろうか,ほとんどなくなっていた。坂に並ぶ土産物売り場は当時の半分くらいになっていて,シャッターが下りている店や半壊の建物が目立った。

坂の最後にある売り場で,真珠の貝柱の醤油焼きを買った。この店は実は友達の家で,家の中に入ったこともある(ニンテンドー64で遊んだ)。焼いてくれたのは友人の母親で,なんとなく顔に見覚えがあったので思い切って話しかけてみた。どうやらその友達は昨年結婚して,ほんの少し前まで出産のために帰郷していたらしい。そうか,出産か。ずいぶんと時間が経ったものだ。当時見上げるように眺めていた店の前の塀は,既に上から見下ろす高さになっていた。

坂を上り切ったところ,灯台に隣接していた私のかつての住居は取り壊され,いまや公園になっていた。父の職場であった事務所は灯台博物館になっていた。

家の隣にあった茶屋は昔とあんまり変わっていなかった。ここのおじさんには小さいころに本当によく遊んでもらったので話しかけてみると,下の名前を名乗っただけで私の父や妹の名前まで出てくるほどよく覚えていてくれた。お店ではそのおじさんの息子(長男が2歳くらいの頃に私が引っ越しをした)たちのその後の話や,若いころの私の父がどれほど血の気が多かったかという話をしてくれた。

その後は車でかつての友人宅を回った。といっても突撃訪問をしたわけではなく,思い出の場所として外から眺めただけだけど。20年以上前だというのに,意外と覚えているものだ。ただ建て替えられていたり,なくなっているところもあった。

みんな元気だろうか。当時の小学校の同級生で今でも連絡が取れる人はほんのごくわずか(そもそもたしか一学年一クラスくらいの小規模校だったような気がする)。話によるとここに戻ってきて家業の漁業を継いだ人とか,大学進学とともに都市部に出て行った人とか,知らない間にずいぶん活躍している双子とかの話を聞いたりして,元気にしているという明るい噂を聞く一方で,高校中退してから引きこもってどうしているかわからないとか,一度地元に帰ってきたものの突然いなくなり,それ以来消息がつかめないというかつて仲が良かった友達の話も聞く。色んな事情があって,この地の建物は閉じられたりなくなったりしているのだろうけれど,どんな道を辿ったのであれ今どうしているのであれ,みんな元気でいてほしいと思う。いつかまたこの地を訪問した時には,そういう友達と思い出話でもしながら歩けたら楽しいだろうなと想像しながら帰路についた。そもそも途中で引っ越してしまった私のことなんか覚えていないかもしれないけど。

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『タスク・ベースの英語指導』に対する異議申し立てに関して

本エントリーは,表題の著作第2章の執筆者である福田純也個人の責任において執筆されたものです。

 

1.ことのいきさつについて

◆当初の要求とその対応まで

2018年1月12日に,『タスク・ベースの英語指導:TBLTの理解と実践(2017年,大修館)』の第2章について,靜哲人氏から大修館書店の編集部経由で,私と編者宛に文書が届いた。当文書は,私の執筆した第2章にある引用に対する異議申し立てであり,靜氏のブログをコピー・ペーストしたものだということであった(当該のブログはこちら)。

その後,引用元である靜氏の著作『英語授業の心・技・体』を読み返し,返答を行った(返答全文はこちらから閲覧できます)。

その後,靜氏から大修館に連絡があり,これ以上のやり取りを行わず問題を収束させたいため,増刷時に当該引用部分を削除,もしくは別の典拠を掲載するという対応を検討するよう,要求がなされた(以下,当該の提案を靜氏からの「折衷案」と表記する;2018/3/28追記)。

異議申し立てに対する返答で書いているように(再度後述するが),私は学術的な倫理に反する引用を行ったとは認識していない。しかしながら,靜氏が抱いた違和感に私の説明不足が一切起因していないとも思っていない(このこととその理由も,後述するように異議申し立てに対する返答に既に述べているものである)。そのような認識から,「より適切で私たちの意図が通じやすくなるよう著書に修正を加え,著書の質を改善するため」に,当該引用を削除することを承認した。申立書にある指摘に対しては,本書がよりよいものになるためのヒントをいただいたと理解し感謝申し上げた。そして,それとは別に(つまり「交換条件」としてではなく),私が学術的な倫理を犯す行為を行ったような印象を与える当該ブログの2つのエントリーを削除頂くように要請した。

※2018/3/28追記:正確を期すと,以下のように返答した;

p.43の 「(靜, 2009など)」の記述については、読者に著者の意図がより伝わりやすい文献が存在するか確認し、増刷時に別の文献に変更することを検討いたします。その際には当然ながらp.245に参考文献として挙げている「靜哲人(2009)『英語授業の心・技・体』東京:研究社.」もその文献に置き換えることになります。

この対応を,大修館を通して申し入れたのが2018年2月6日のことである。結果的にお互いの要求を満たす解決策に至ったと思われたため,我々はこの要求をもってこの問題は収束に向かうと考えていた。

 

◆要請の事実上の棄却と,その後の対応

その後しばらくして,靜氏が2回目に掲載したエントリー(https://cherryshusband.blogspot.jp/2018/01/blog-post_20.html)が,「削除」ではなく「更新」されていることを,知人からの報告を通じて知った。そこには,「的はずれな紹介で貶められている『心・技・体』の名誉が、一日も早く回復されることを願ってやみません。(注:2018.02.07 下線部の表現を修正しました)」との記載があった。

靜氏自身の持ちかけてきた「折衷案」の大部分についてこちらが同意したにもかかわらず,靜氏はこちらの要求を実行しないことについて戸惑ったが,私としてもこれ以上そのような「こう書いている・書いていない」という水掛け論を続ける気はなかったので,私はこの件についてこれ以上触れないことにしていた。

しかしその後,2018年2月28日に,靜氏が大修館に赴き,更なる対応を要求したという事実を聞くこととなった。靜氏が満足できる対応措置のあり方の例として,大修館の媒体に「お詫びと訂正」を掲載するということが挙げられていた。

我々は大修館書店と相談の末,当該の要求への対応として,大修館のウェブサイトの『タスク・ベースの英語指導』の紹介ページ (https://www.taishukan.co.jp/book/b298105.html)に,以下のような文を入れることを検討した。

 

*靜哲人氏からの要望により,p.43, l.29「(靜,2009)」および,p.245, l. 9「靜哲人(2009). 『英語授業の心・技・体』東京:研究社」は本書増刷時に削除することとします。

 

「正誤訂正」としなかったのは,誤引用を行ったとして認識を改めたからではなく,先述の通りより適切で意図が通じやすく修正を行い,著書の質を改善するため,というのが引用削除の理由であったからである。この認識については靜氏から「折衷案」が届く前に述べてあり,その後の対応から靜氏もその件について理解を示したものだと私は思っていた。なにより我々はその認識を靜氏に述べた後に,靜氏から届いた「折衷案」を全面的に受け入れていたからである。

そのような対応を,大修館を通じて申し入れたところ,後日,靜氏によって以下のようなブログのエントリーが投稿された(http://cherryshusband.blogspot.jp/2018/03/2017-tblt.html?m=1)。

ブログの内容については,これまで私たちが行ってきたやりとりとは大きく異なることが書かれていて困惑した。まずここに述べているように,我々は大修館を通じて異議申し立てがあったのちにその対応を送付し,その後靜氏から「折衷案」が提示され,こちらはその要求を受け,その後に更なる要求がなされた,というのが私の把握している流れである。しかしながら当ブログエントリーでは,靜氏が「4つのことが実現されるよう努力し」,要求が叶えられなかったので決別した,と書かれている。まず,そもそもこの「4つの要求」が同時に提示されたことは一度もなかった(前述の通り,そもそも提案のなされた時系列が異なる)。(3)の「増刷はいつになるのか不明であるため、それまでの救済措置として大修館書店のHPなどで、「増刷時には削除する」ことを公表・明示すること」は,「折衷案」をこちらが受け入れた後になって突如靜氏から要求があったことである。さらに当該エントリーの中で,私はあらゆる公開を拒否して逃げ回っているような書かれ方をしているが,私としては,対応を求めるという文章が届いたのでその対応を誠心誠意書いて送付したに過ぎず,まったく問題のない方法で異議申し立てに対して返答したと考えている。その後しばらくこちらの対応に靜氏が納得していないとは伝え聞いていなかったので,我々の対応の後にこの問題は収束に向かっていると感じていた。

 

2.『タスク・ベースの英語指導』第2章における引用に関して

靜氏は,上記のエントリー(http://cherryshusband.blogspot.jp/2018/03/2017-tblt.html?m=1)をはじめ一連の投稿においても述べているように,『心・技・体』においては「発音面の正確さは流暢さに先行すべきだ」と主張しているにもかかわらず,私が「言語の形式面一般の正確さは流暢さに先行すべきだ」と誤って解釈して引用していると述べている。それに対して私が「異議申し立てに対する応答」にて行った返事は以下のとおりである。『心・技・体』には,音声の正確さに関する主張がほかの領域にも適応可能であることが再三にわたって明示されている。例えば『心・技・体』12-13頁における,「正確な綴りは不要?」「時制は不要?」「3単元は不要?」「冠詞は不要?」というセクションで,発音に当てはまることは狭義の文法(形態統語的なもの)についても同様に言えると書かれており,さらに,18-19頁では,

 

話をわかりやすくするため,英語の発音ではなく,タイピング技能について考えてみよう。「個々の発音の正確さを気にしすぎると,流暢さが育たない」という議論をタイプ技能に当てはめると,「タイピングの正確さを気にしすぎると,タイプスピードが育たないから,正確さはあまり気にしすぎないほうがいい」となり,いかに馬鹿げた議論かがよくわかる。

 

と述べられている(さらに言えば,靜氏の最初のブログエントリーにおいて,正確な発音ができない状態で流暢さを求めることがいけないのは「これは私が見聞きしてきた範囲において真実であり、(おそらく発音だけでなくmotor-skillが関わるおおくの身体的技能にも広く当てはまる)真理」だからであると自身でも述べている)。つまり,靜氏は『心・技・体』において発音指導に当てはまることが,ほかの領域にも適応可能であると当該書の内外で明示したうえで発音指導についての議論を行っているのである。これらの記述をもって,私は『心・技・体』の中で読み取れる指導信念として,『タスク・ベースの英語指導』第2章における引用を行った。

また私は申し立て書に対する対応の中で,上記のことが「『心・技・体』の断片的な引用によって読者が理解できる範囲を超えており,『心・技・体』全体を読み解くことによって理解できる,全編を貫く信念に関することであると判断した」ため,このような引用になったと述べた。この点に関して靜氏はブログエントリー(https://cherryshusband.blogspot.jp/2018/03/2017-tblt.html)の中において,

 

「読み取れる信念だ論」はあたらない。第一に、『心・技・体』にはそのようなことはどこにも書いていない。第二に、『心・技・体』の著者すなわち靜にはそういう信念はもともとない。だから、ないものを「読み取れる」はずはない。もしそう「読み取れた」のなら、その者の読み方が誤っている。

 

と述べている。私は,著者の意図通りに読者が読み取らない場合,その原因としては「その者の読み方が誤っている」以外に「著者が(本当はどう思っているのであれ)そう読めるように書いている」という可能性も考えられると思う。書かれたテクストが著者の考えをいつでも完全に表すことができるとは私は考えないし,この件にかかわらず私は多くの学術的テクスト執筆者の「本来の人となり」にそれほど興味はない。そして,私が靜氏の信念として以上の解釈を行った理由はここまでに述べた通りである。しかし,私が読み取った内容に関して異論を示すことに関しては学術的には正当な手続きなので,それ自体を非難する意図は私にはないし,「『タスク・ベースの英語指導』において書かれているような信念を私は持っていない」という主張があっても当然私は何の異議申し立ても行う気はない。

 

3.おわりに

当初我々が異議申し立てを受け,それに対する対応を送付した後に「これ以上のやりとりはやめて問題を収束させる」という提案をしたのはほかならぬ靜氏本人であった。そして,それに付随した要求に対し我々は大部分で合意してきた。にもかかわらず,その後も執筆者の人格を否定するようなエントリーは投稿され続けている。私はこのようにブログで意見を言い合うことが「公開された場でのフェアなやりとり」だとは全く思っていないし,このやり取りが何か英語教育において生産的な議論を生むとは思えない。事実,私のこのブログエントリーが投稿されることによって学界にもたらされる知見はほとんどない。したがって私は,これ以上この問題について延々と議論を続けたいとは思わず,願わくばこれまでの合意事項をもってこの問題を終わらせることを望んでいる。そしてその時にはこのブログエントリーもここに残し続ける理由はないと考えている。靜氏の一連のブログエントリーには私は大変困惑をしているが,上記したように,私が解釈した意味での靜氏の「信念」が実際のものと異なるなら,そのような内容のポジションペーパーを学術論文として執筆していただきたいし,謹んで拝読したいと思っている。そして将来実際にお会いしお話しする機会があるとすれば,その資料に基づいて(遺恨を残したののしり合いではなく)より建設的な議論ができればと願っている。

2017年の振り返り

ほぼ数回に一回はその年の振り返り記事になっているほど過疎っている本ブログですが,今年一年あったことを振り返ってみたいと思います。

なんといっても今年一番大きかった出来事と言えば,所属が移ったことでしょう。静岡県立大学(University of Shizuoka)から静岡大学(Shizuoka University)へ移りました。ポスドク研究員っぽい業務内容と聞いていましたが,実際そういう雰囲気ながらなかなか普通のポスドクではできないだろう経験をしています。

普段私が何やってるのかよくわからない人も多いと思いますが(静大の学生にもそういわれますが),分析したりいろんなところ行ったりしています。特に亘理先生をはじめとする大学の先生たちや県の指導主事の先生たちと高校を回っていろんな授業を見て,協議に参加したりさせてもらっていました。見た授業は40時間ぶんくらいだと思いますが,とにかく周りの先生方の授業を観察する視点に圧倒されつづけた一年だった気がします。変なこと言って無能扱いされないか心配で日々必死でしたが,たまにはアドバイスを求めて尋ねてくださる方々もいて,多少ここに存在する意味はあるのかなと胸をなでおろしたりしています。

昨年まではとにかく毎日授業と授業準備をし続ける生活で,多くのコマ数を捌くことに不慣れなこともあり,それはそれで実に学ぶことの多い時間となったのですが,今年は逆に,ただただ授業をこなしていても絶対に身につかなかっただろうなと思うような見方や方法を身に着けることができたと思います。

なんだかんだ学生生活が長かったので働き始めてから日は浅いですが,なんかこう自分が一生懸命やったことで,自分が多くのものを得ることができるというのはそうなんですが,それがたとえほんの少しでも他人にも還元できてるかもしれないと思えるのっていいですね,なんて意識の高い新人会社員みたいなこと言ってみたりするんですけどね,裏を返せば学生時代まで何を頑張ってもそういう実感が皆無だったってことでもあるんですけど,まあそんなもんでしょうか。

自分の研究にフォーカスすると,今年は実にリジェクトが多い年でした。リジェクトに始まりリジェクトに終わったと言っていいでしょう。自分が筆頭じゃない共同研究もリジェクトされまくって,リジェクトに次ぐリジェクトで語尾が変わっちゃいそうだジェクト。今月帰ってきたやつも,メジャーリビジョン判定の原稿を修正して出したら再査読に一年かかってまたメジャーリビジョンで帰ってきたりジェクト(どっちやねん)。

あ,でもここで書いたように,今年は共著で本が出ましたェクト。卒論執筆中の色んな大学の学生の方々が結構持っててくださってたりして,嬉しかったですェ外。来年は違う出版社が単著も出してくれるっぽいです。がんばりまーす。

ということで今年はとても充実した一年でした。来年もそうなるように努めたいです。今年もあとわずかですが,皆様もいい年を過ごしてお迎えください。

セルフアーカイビングと著作権に関する覚書

 近年はネットの発達で,自分のサイトや研究者用SNSで自身の論文をアーカイブし,多くの研究者に閲覧可能な形にするケースが増えているようだ。

特に近年は図書館も財源が厳しいそうで,私の所属している大学もどんどん電子ジャーナルの契約を打ち切っているので,それならばとできるだけセルフアーカイビングして多くの研究者の方々に自分の論文を読んでもらおうとする人は多いかなと思う。で,私もそうしている。

ただセルフアーカイビングは出版社が持つ著作権の問題なんかもあり,結構躊躇するひともいるのではないか。私も各出版社やジャーナルのポリシーを読んで,色々読んでそれなりに勉強してからアーカイブを始めたけれど,やはり法に触れる可能性のある問題だから最初はドキドキしながら載せた。

そこで,その際に学んだことをここに書き留めておこうと思う。これでセルフアーカイビングが進んで論文のアクセスが容易になればいいと思う。ただここに書いてあることを参考にして失敗しても責任は取れません(お約束の台詞)。

まず,論文を投稿する前の原稿はプレプリントというらしい。欧米ではこのバージョンの著作権は出版後のバージョンと違い自分にあると考えられているそうなので,多くの国際誌はこのバージョンをセルフアーカイビングすることを許可しているよう。確かに,大量の査読コメントをもとに段落単位で消したり増えたりするような修正の前後では論文の体裁が劇的に変わったりもするので,著作権の所在が違うというとそういうもんなのかなあとも思う。

ただこの認識が日本のこの分野でどの程度持たれているかというとよくわからない。いろいろ細かい事情は知らないが,ひとつとしては日本の学会誌では原稿に最初から図表を著者本人がレイアウトし,出版後の体裁でページ数なんかの規定もある。つまり投稿時点で最終稿と同じ体裁の原稿の提出が求められ,一発で採択/不採択が決まることも多いので,査読のやりとりの前後で比較的論文の体裁に変化がないこともあると思う。それを考えると,最終稿とほとんど変わらないものがセルフアーカイビングされるのはまずいのかもしれない。

だから,その辺の細かいポリシーが明記されてない場合,「プレプリントは俺のや!」といって許可を得ず公開してしまうと問題が起こるかもしれない。というわけで,私も国内の学会誌に掲載された論文は,公開が許可されていない場合はセルフアーカイブしていない。

査読を経て掲載が決まった原稿をポストプリントというらしい。よくポストプリントのことがプレプリントと呼ばれているのを耳にするけど,厳密にはそういう区切りがあるみたい。

このバージョンの扱いはかなり出版社やジャーナルによって異なる。

私の経験したケースでいうと,SAGEが出版しているLanguage Teaching Researchはポストプリントもセルフアーカイブしていいらしい。

一方,Oxfordが出版するApplied Linguisticsはプレプリント,つまり査読が入る前の記事のセルフアーカイブを許可しており,ポストプリントは出版後一定の年数が経過したのちにセルフアーカイブが許可されるようだ。

出版校正が入り,ページ番号が付与されたりジャーナルのロゴが入ったりしている最終稿バージョンは,大抵のジャーナルがセルフアーカイビングを許可していないみたい。ただ「許可なく公開することは禁止」という書き方のところは結構あるので,許可を取ればこれももしかしてアーカイブできるようになるかもしれない(でも正式に出版社でオープンアクセス公開にするには結構なお金を払う必要があることを考えると,許可はなかなか下りないのかもなーとも思う。ただこの原稿をセルフアーカイブしている人も国外ではしばしば見かけるので,それはお金を払ってオープンアクセスにしているからか,もしくは案外許可が下りるからかもしれない。そうじゃないケースもあるかもしれないけど私にはよくわからないぷう)。

どの段階でセルフアーカイビングが許可されるかに関しては,そのポリシーを色で分類したRomeo Colorというものがあり,以下のサイトにジャーナル名を入力して検索するとその色が表示される(http://www.sherpa.ac.uk/romeoinfo.html)。

私はこのサイトでチェックした後,細かいところはジャーナルのポリシーを読むことにしている。
おしまい。

2014年のまとめ

WordPress.com 統計チームは、2014年のあなたのブログの年間まとめレポートを用意しました。

概要はこちらです。

サンフランシスコのケーブルカーには60人が乗車できます。2014にこのブログは約2,800回表示されました。ケーブルカーに置き換えると、約47台分になります。

レポートをすべて見るにはクリックしてください。

追悼

ちょっとこういうところに個人的に書く気にはならなかったんですが,まあもっと公式なアレで自分の個人的なのじゃなくてみんなで追悼したらそれでいいと思ってたんですがそれがどうも叶わないようで,いやまあそれとの因果関係はよくわからんですが,なんか書こうと思ってしまいました。

もう数日経ってしまいましたが,広島大学の前田啓朗先生がお亡くなりになったという話をお伺いしました。

始めてお会いしたのは全国の大阪大会だったんですが,あの伝説的なランチョンで,はじめて動いてる先生を初めて見ました。終わった後,数人がちょっと残って喋ってる中にいました。
当時は大学4年生で,ヘタレな今より更に誰でもない勉強足りない学生だったんですが,ちゃんと相手してくださったんですね。そういうお人柄だったんです。
その後なんか先生(とか寺沢さんとか、それを皮切りにそのあと別の先生方もですが)がツイッターで僕をいじりまくってくれた事がなんか色んな人に可愛がってもらう機会を作ってくれました。

そんで同じ学部四年のとき。
「卒論構想できてたらそれ持って中日ビル」という招集が掛かって,先生が非常勤に来ておられた大学の院生さん相手に卒論のプレゼンをやるという。あー怖かった。院生って怖い。

「また飲みましょう」とか言ってくれて。それ以来,名古屋に非常勤の集中講義で来られる度にお会いする機会に恵まれました。たまに手伝ったり。

いろいろ教えてもらいました。お酒ご馳走になったりして,先生が若い頃に本をご執筆されたときの話とかして頂いて。論文の内容を聞いて下さったり。僕は頻繁に角変換(逆正弦変換)を使うし,αの修正にはライアンとステップダウンボンフェローニを毎回必ず使うけど,あれは両方とも先生が僕の研究を聞きながらケーススタディで教えてくださった手法でした。懐かしいなあ。
基礎研ができたときも,「そういうメンバーで将来,本書いたりするから大事にせんと」とか(いや,広島弁かけない上に正確になって言ったか覚えてないのだけど確かこんなかんじ)仰って。しかも第一回の年次大会に駆けつけて下さって,ご講演頂いて。

先生はよく,自分には弟子がいないと言ってました。先生が僕のことどう思ってたかは結局わからないんですが,僕は自分がそうだとは言えず,先生が大きすぎて,なんか論文の謝辞に書くのも憚られて,まあもうちょっと偉くなったらなんか…とか…なんかなに言いたいかわからなくなってきましたが,もういなくなってしまうなんて。よく考えたら先生に見て頂いた最後の原稿,一年以上経つのにまだ出版されてない。

さて,そんなこと考えてたらなんにもする気が起きないのですよ。なんかツイッターでも呟く気になれなくて。今日もまた15時間くらい寝てた。なんかそろそろそれを言い訳にして元々の怠惰が出てるだけな気がしてきたからなんとかしないと。

うん。

つらい。

先生はどこでも人気でしたので,「先生,先生」とついて行くのはどうも憚られて,一緒にいる機会があるときはいつも控えめにしてしまっていました。もうちょっと,お話したかったなあ…。

心から感謝申し上げます。同時に,お悔やみ致します。どうか,安らかにお眠りください。